神長官守矢家や諏訪大社の情報など情報更新していきます

国譲りの神話と建御名方命

日本の神話において欠かせない物語であるのがこの国譲りの神話です。天上世界の神様である天照大神(あまてらすおおみかみ)が人間が住む現世である葦原中国(あしはらのなかつくに)の国譲りを受けることから「葦原中国の平定」とも言います。国譲り神話の大元は古事記の記述によるものです。


その昔、天上の世界と黄泉の世界の間にある豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)を治めているのは大国主命(おおくにぬしのみこと)でした。国譲りの神話に出てくるその大国主命の息子が建御名方命(たてみなかたのみこと)でありました。
建御名方命は建御雷神(たけみかずちのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)と共に日本三大軍神の一柱に数えられています。(神の数は柱と数える)大国主命は多くの女神との間にたくさんの子供をもうけその数は古事記で180柱とされています。
天照大神の使者の建御雷神が大国主命に豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)の国譲りを迫ると大国主命の長男の事代主命(ことしろぬしのみこと)は建御雷神に恐れをなし国譲りを承諾してしまいます。そこで大国主命は次に建御名方命に建御雷神と対面させました。国譲りに反対した建御名方命は建御雷神に力比べを申し出ますが、建御名方命が建御雷神の手を掴むと建御雷神の手は氷や剣に変化し、まあ端的に言って建御名方命は喧嘩に負けたわけです。
この時の力比べが後に日本の国技となる相撲の起源になったと伝えられています。
これを恐れて建御名方命はそこから逃げ出し、日本海沿いの海岸を北上し丹後、能登、上越を経て糸魚川の姫川沿いに(現在のフォッサマグナ)科野(信濃)の地に入ってきます。その途上でも土着の族を次々と倒しながら逃げます。そして松本平に至り更に塩尻から小野(おの・・この神社でも御柱祭が行われる)を抜け天竜川に至ります。そして、科野国(信濃)、州羽(諏訪)の海まで追い詰められ、「もうこの土地から出ないので勘弁してください」と降参し、建御名方命は諏訪の地に居着くこととなったわけです。

日本書紀にも国譲りの神話が載っていますが、日本書紀は天孫系つまり現在の天皇家に繋がる者たちが作ったとされる通り大した争いもなく出雲系から天孫系に国譲りがされたと記されているそうです。

※参考情報・資料
・wikipedia 国譲りhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AD%B2%E3%82%8A#%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98
・神社本庁ホームページ:「国譲り」
・「諏訪の神様が気になるの」:信濃毎日新聞社

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です