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千鹿頭神社(ちかとうじんじゃ)

守矢氏の系譜のなかで、神話の最初の「洩矢神」から二代あとに「千鹿頭ノ神」という神様がいます。神話の時代に健御名方命と戦った洩矢神が敗れたあと、その一族は千鹿頭神(ちかとうしん)とともに東北地方に逃れたと言われております。(その割には千鹿頭神社の系列はなぜか埼玉や群馬に多いようですが)
もちろん諏訪にも千鹿頭神社はあるのですが、松本にある千鹿頭神社は少し変わった成り立ちになっていることもあり面白い神社です。

この松本の千鹿頭神社は千鹿頭山という小高い山の頂上に本殿が建っていますが、面白いことに2つの社が建てられています。

頂上にある「千鹿頭神社沿革」を読むと、松本藩と諏訪高島藩の境界がこの千鹿頭山の尾根とされており、そのため社殿も高島藩側と松本藩側で二分されているのだといいます。神田側社殿が高島藩、林・大嵩崎側社殿は松本藩が建てたものとなっており、それぞれ趣の違う社殿が建っています。


洩矢神に連なる諏訪信仰とも縁の深い神社ということで、この神社にも立派な御柱が建っていますが、神田側と林・大嵩崎側は一応違うので、4本のうち2本ずつを神田側と林・大嵩崎側の氏子がそれぞれ頂上まで引っ張り上げて建てているようです。


この神社の御柱祭も盛大なもののようです。諏訪の御柱は寅年と申年ですが、こちらの御柱はそれぞれ翌年の卯年と酉年に行うようです。

2021年11月13日訪問

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