神長官守矢家や諏訪大社の情報など情報更新していきます

諏訪温泉寺

温泉寺の裏手の山を登ったところ、歴代諏訪高島藩主の墓の裏側には我が家の祖父母の墓があります。ここは大祝の末裔と言われる高島藩諏訪氏の菩提寺でもあり、”二代目”藩主の諏訪忠恒以降、八代目までの藩主の廟があります。温泉寺は二代目藩主の忠恒が建立したからで、初代藩主の諏訪頼水の墓は茅野の頼岳寺にあります。

藩主名没年墓所
1頼水(よりみず)1641頼岳寺
2忠恒(ただつね)1657温泉寺
3忠晴(ただはる)1695温泉寺
4忠虎(ただとら)1731温泉寺
5忠林(ただとき)1770温泉寺
6忠厚(ただあつ)1812温泉寺
7忠粛(ただかた)1822温泉寺
8忠恕(ただみち)1851温泉寺
9忠誠(ただまさ)1898吉祥寺
10忠礼(ただあや)1878吉祥寺
歴代の高島藩主名称(「国史跡 高島藩主諏訪家墓所」パンフレットより転載)

この墓所は2017年に国の史跡に指定されたそうですが、昼間に行っても大きな杉の木にかこまれた薄暗い場所です。 諏訪藩主の墓のすぐ裏側に市営の墓地が分譲されるときに、祖父が墓を購入したそうですが、「昔なら藩主の墓をすぐ後ろから見下ろすような場所に市営の墓地を作るなどということは畏れ多いことだったはずだ」と言っていたとのことです。

三代目と六代目藩主の墓を見下ろす位置

ところでこの市営墓地は温泉寺の管理下ではなく、我が家の墓もこの場所にあるにもかかわらず、菩提寺は諏訪大社本宮のすぐ横にある法華寺となっています。

  • 寺院名:温泉寺
  • 宗派:臨済宗妙心寺派
  • 本尊:薬師如来
  • 建立:1640年(寛永17年)
温泉寺を建立した二代目藩主の墓は江戸初期の木造御霊屋でしたが、平成19年に解体しています。(修復作業中?)
三代目忠晴の墓。歴代藩主の墓は全てこの特殊舟形と呼ばれる独特な形状の巨石。かなり山の上に位置するのですがどうやって運んだのでしょうか。
温泉寺からの諏訪湖の眺め

「君の名は」の影響で温泉寺の上に行ったところにある立石公園が聖地となっていますが、温泉寺も諏訪湖を一望できる高台にあります。

元々は高島城にあったものを明治3年頃に移築したと言われる山門。

温泉寺本堂。こちらも高島城にあった能舞台を移築したものと言われているそうです。

2021年11月12日訪問

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です